あの日食べたバターライスの不味さを僕達はまだ知らない。(実写版)

We still don't know the distastefulness of the butter rice we ate that day. (live-action version)

今更ながら安保法制の時に思ったこと

 安保法制の時に嫌な物言いだなと思ったのは「必要だというのなら憲法を改正するべきだ」というもので、高みの見物気取ってないでまずおまえ自身が必要だと思ってるのか否かはっきりさせろよと言いたくなった。しかもどうせ憲法改正なんてできないという意識が裏にあって、大っぴらには反対しないで中立を装いつつ原則論めいたこと(これも一つの意見でしかないけど)を言うだけというのは卑怯な態度だと思った。
 憲法との整合性が取れてないのであればどちらかを変えればいいだけで、どちらを変えるべきかはまさに法整備の必要性によることで、そこをはっきりさせないと意味がない。
 憲法との整合性が取れてないという主張は、憲法を改正しないで安保法制を通すことへの反対理由にはなり得たけど、安保法制そのものへの反対理由にはなり得なかったはず。それなのに憲法を変えるべきではないという頑迷な立場と実際に変えるのが困難という状況があって、憲法との整合性にばかり議論が集中したのは残念だった。なぜ必要/不必要なのか、過剰な部分、不足してる部分はないかという議論があまりなされず、合憲か違憲かという分かりやすい議論に終始したせいで全体としては分かりにくい議論になった。
 改めて、状況が変化しても法を変えないということを政策目標とすることは異常なことだと思う。そもそも時代の変化に合わせてどんどん変えていこうぜというのが左派(革新)で、それに対してまだ変えなくていいんじゃないか、変えるにしても少しずつな、というのが右派(保守)のはずで、それなのに護憲派=左派ってことになってる状況がおかしい。

 ついでにもう一点。集団的自衛権の行使を可能にすることが対米追従だという批判があったけど、これからも親のすねをかじり続けると宣言してる人が、家にお金を入れると言ってる人を親の言いなりになってると批判するようなもので、的外れだしものすごく間抜けな感じがした。国防を一方的に頼るほうがよっぽど追従に近い態度だと思う。