あの日食べたバターライスの不味さを僕達はまだ知らない。(実写版)

We still don't know the distastefulness of the butter rice we ate that day. (live-action version)

クルーグマン『そして日本経済が世界の希望になる』 PHP新書

 クルーグマンの『そして日本経済が世界の希望になる』はインタビューなどから制作されたとのことで、難しい理論とかは出てこないので素人でも普通に読めると思う。多少難しい専門用語も出てくるけど、適宜解説が加えてあるし、後で見返したら30ページに解説してあるLTROの意味が解らなくても特に問題はなかった。あとは引用中心で(とは言っても全体をバランスよく紹介する意図は全くないので偏った引用になってるけど)。

 この数年にわたって、日本の長期金利はデフレ経済のもと、先進国のなかで最低の名目金利を続けてきたが、実質金利は他の先進国よりも高かった。(p.6)

 日本では「失われた二十年」という言葉がよく使われる。しかし実際のところ、それは恐慌に見えない、というのが面白いところだ。(p.22)

 これがデフレ不況の恐いところかも知れないな。問題はあるのに何とかなってるように見えるせいで「日本は成熟国家なんだからもう成長なんてするわけがない」などという現実を無視したアホな俗説がまかり通る。

『金融政策が人びとの期待を変えることに依存する、という点に比べ、財政出動の長所は、それが人びとの期待を変えなくてもよい、ということだ。人びとが(当局の)約束を信じようと、信じまいと、景気を拡張させる効果がある。』
『もともと日本において財政出動は、雇用を維持するために使われてきた。しかし、どうすればそれを一時的な支え以上のものにできるのか、という枠組みが存在していなかった。』
財政出動を一時的な支え以上の存在にしようと思えば、高いインフレ目標を掲げる必要性を同時に受け入れなければならない。』
『私がアベノミクスというコーディネートされた政策パッケージに期待するのは、それゆえである。』(p.38-40)

デフレを好む人は、もし物価が上がり、賃金が据え置きになれば状況は悪くなる、というが、インフレ率が上がれば、賃金も上昇すると考えるのが現実的だ。
 逆にいえば、自分の給料が年率二パーセント上昇したとき、物価が下落していれば生活水準は上がる。しかし実際には、人びとの給料は二パーセントも上昇しない。賃金も同時に下落しはじめるからである。(p.59)

 つまりインフレになっても賃金が上がらないと考えるのはデフレで賃金が上がると考えるのと同じくらい不合理なことということか?

 そもそも金利の上昇は、何を意味しているのだろうか。私の考えは「アベノミクスがうまくいく」という人びとの「期待」を反映している、というものだ。一年前の日本と比べてみればよい。借り入れコストはあまり変わらないレベルに維持されているにもかかわらず、いまの日本には、高いインフレ期待が存在している。(p.68)

 日本は純債権国であり、円相場が下落すれば、自国通貨建てでみた富の価値は増大する。円相場の下落が日本の産業の競争力を強めるのは明らかだ。この効果は、いかなる他の懸念にも勝る。(p.69)

 何度でもいおう。重要になるのは「少し高めのインフレ」だ。正当な政策では、二パーセントのインフレはゼロパーセントよりもマシである。マイナス一よりよいことも間違いない。四パーセントのインフレが二パーセントのインフレよりもよいというのも、立派な考え方だ。(p.70-71)

 アメリカでFRBの独立性が問題になったことはない。いかなる状況でも、FRBホワイトハウスの上院・下院よりも経済成長を重視していたようにみえる。つまりFRB以外の政治システムよりも、つねにFRBのほうが拡大モードだった。
 共和党が下院で多数を占めるというねじれ状態のなかで、議会はFRBに対して、いま行っている政策を実行しないように求めてきた。しかし、FRBはそれを無視しつづけている。とても望ましい姿勢だ。(p.83-84)

 日銀法を改正して「雇用の最大化」という機能をもたせることができれば、日銀自身にとってもそれがインセンティブになる。裁量の範囲が広がるからだ。中央銀行としての行動の自由も拡大する。(p.89)

 財政については、二パーセントのインフレ目標が達成されれば、目下の問題はかなり好転する。もちろん利払いはある程度増えるだろうが、名目GDPの成長率が上がることで、最終的にGDPに対する国の債務比率を下げることが可能だからだ。そうしたかたちになれば、財政出動も不要になる。
 最終的には財政緊縮が必要になるが、いまの日本ではたして実際に公的債務を減らしはじめることができるだろうか。本書で何度も繰り返したように、あまり早く財政再建を始めることはよい結果をもたらさない。まずは、二パーセントのインフレを達成することを第一に考えるべきだろう。(p.110)

 イギリスの場合、GDP比二〇〇パーセントを超える借金が、一九七〇年代には五〇パーセントにまで下がった。イギリスは何をやったのか。彼らはけっして、借金を返済しようとはしなかった。穏やかなインフレと経済成長を両立させながら、少しずつ均衡策を実施していったのだ。
 すなわち年率で名目GDPは約七パーセント、実質GDPは約三パーセント、そしてインフレ率は約四パーセントほどの上昇を継続させた。(p.127)


 以下は山形浩生による解説より。

ギリシャでも、スペインでも、ポルトガルでも、不況真っただ中の経済に対して緊縮財政を強いて財政赤字を減らし、公務員をクビにしろという議論が平然とまかり通っていた。
 その結果は、さらなる失業と経済の冷え込み、それに抗議するデモと社会不安だった。景気が悪いときには政府が赤字支出をして民間需要の低下を補う、というのが常道なのに、そのセオリーをまったく無視した異様な政策が当然のごとくに展開されたが、当然のようにセオリーどおりの結果が生じたわけだ。(p.189-190)

 これに続いて日本の増税論議への批判が展開されている。