「織田信長のマネー革命」は信長の経済政策(金融だけじゃなく)について書かれている。一見、経済との関係が見えない行動についても経済の側面から書かれていて、なるほどそういう意図があったのかと思うことが(特に比叡山焼き討ちについて)あった。それと、信長が現在にも通じる経済システムを整備したということで、経済(特に通貨)のシステムがどのように成立するのかについても触れられている。
金融システム
金融に関しては信長が日本で『初めて体系的な通貨制度』を作った。具体的には1569年の法令で『中央政権としては初めて金、銀を通貨として使うことを決めた』、『金と銀、銅銭の交換比率』を明確に定めた。これによって貨幣の安定化とともに『遠隔地の物流を促進した』。
非効率を嫌った
信長は中間搾取や非効率を嫌ったと考えられる。政策としては、枡の大きさの統一、関所の撤廃、石高制(『簡単に言えば、年貢を銅銭ではなく米で納めるという制度』)という所。いずれも効率を高めて不正を無くす政策で、庶民にとって助かる政策でもある。関所の撤廃や税制の整備は、自分に富や権限を集中させる狙いもあった。
流通拠点を抑えた
ここが一番純粋に信長の経済的センスが感じられるポイントかもしれない。副将軍か管領職に就くようにという足利義昭の要請に対して、『堺、大津、草津に代官を置く許可を願い出』た。堺は貿易港でもあり日本最大の物流拠点、さらには日本最大の軍需都市でもあった。大津と草津はそれぞれ琵琶湖の西岸と東岸。この三都市を直轄地にしたのは『東国への経済封鎖を念頭に置いてのこと』。