あの日食べたバターライスの不味さを僕達はまだ知らない。(実写版)

We still don't know the distastefulness of the butter rice we ate that day. (live-action version)

芥川賞受賞作をいろいろ読んでみた

 去年の暮れから今年にかけて、芥川賞受賞作をいろいろ読んでみた。去年は安岡章太郎とか吉行淳之介あたりを読んだ。今年に入ってから比較的新し目(と言っても『光抱く友よ』は昭和58年受賞だけど)の女性作家を続けて読んだ。多和田葉子も読みたかったけど近場の本屋になかった。書きそびれてたけど、昨日受賞作の発表もあったことなので、書いてみた。

高樹のぶ子光抱く友よ

 女子高生の友情の話。結果的に上手くいかなくても、自分の手で人生を切り開いていこうとする姿勢が、頼りなくもちょっとかっこいい。情景描写が詳細な割りに分かりにくかった。

小川洋子『妊娠カレンダー』

 ファンタジー的な要素はないのにファンタスティックな印象を受けた。ふわふわしてるというかエキセントリックというか、変。女言葉もかなり気になったけど、そういう明らかな違和感じゃなく、どことなく全体的に変だった。妊娠した姉に、家族が当り障りのない対応をするところが、ちょっとカフカの『変身』みたいだと思った。自分みたいな素人はもうちょっと筋に起伏があるものを読んだほうがいいのかも知れない。

川上弘美『蛇を踏む』

 一行目でいきなり蛇を踏むので面食らった。こっちはファンタジー的というかファンタジーだけど、そうじゃない部分が不思議というか変だった。
『住職にどことなく似た顔の大黒さんが昼御飯にと蕎麦を運んできてくれる合間にも、因縁話はとうとうとつづいた。蕎麦召し上がれ、のびてしまいますよ、と大黒さんが言っても、切れ目ない話のどこで蕎麦を食べていいのかわからなかった。コスガさんはしかし住職の話にふんふん頷きながら、いつの間にか蕎麦をたいらげていた。どうにかしてコスガさんの真似をしようとしたが、私の方の蕎麦はちっとも減らないのであった。』
『「自衛隊の」重ねて言うと、コスガさんはピースをくわえたまま口を「ああ」のかたちにした。』
こういう普通っぽい部分が、変だと思った。的確さがずれてるというか。

絲山秋子沖で待つ

 読む前からこの順番で読もうって決めてて、次は絲山秋子。変なのが二編続いたので、次はまともなのが読みたいなと思ってたところで、絲山なら大丈夫だろうと思って読み始めた。幽霊がしゃっくりしてるのと、その幽霊になる男がとんでもない死に方をするくらいで、期待通りまともで良かった。
 内容は男女の友情、同志愛ならぬ同期愛が描かれてる。主人公は絲山自身だと勝手に決め付けて読んでたけど、解説(絲山と会社で同僚だったという編集者による)によると、自分が思ってた以上に具体的なところまで実体験に基づいたものらしい。太っちゃんが死んだ後に、太っちゃんの部屋に忍び込んでHDDを壊すというのが、一つのクライマックスだけど、そのことがどうでもいいと思えるくらい、太っちゃんが生きてた頃の出来事が濃厚だった。
 読み終わってから、パラパラとページをめくりながら、あの場面面白かったなとか思ってると、自分の体験したことのように錯覚してくる。それくらい強烈な「疑似体験」だったのかもしれない。内容の良さもさることながら、読みやすさが異常。しかもユーモアもある。
 併録の『勤労感謝の日』で主人公(こっちはちょいニヒル目)が長生きしたいと言う場面が妙にピンと来た。過度に人生を肯定するわけではなく、人生の苦味を噛みしめながらも、しっかりと前を見据えてとかそんな感じじゃなく、それなりに前へ進んでいるというような姿勢が表れてるような気がした。押し付けがましくない人生に対する肯定感が自分は好きなんだと思う。