自分でも長いこと忘れてたけど、シェイクスピアと少女漫画を読むきっかけになったのが齋藤孝の「座右のゲーテ」。主にエッカーマンの「ゲーテとの対話」からゲーテの言葉を引きながら、著者の解釈やそれを応用した考え方が書かれている。
ゲーテとシェイクスピア
「今できる範囲で君の仕事にとって大きな財産となるようなこと。それはイギリス文学だ。いらない仕事を全部排除し、英語をしっかり身につけてイギリス文学を研究したまえ」
「イギリス文学はいちばんレベルが高い。われわれドイツ人自身の文学も、大体はイギリス文学が源流になっている。バイロンやウォルター・スコット、シェークスピア、ああいう最高のものを自分のものにしてしまったら、それは決して使い尽くすことはないのだ」(p.91)
節の冒頭の「重要なことは、けっして使い尽くすことのない資本をつくることだ。」という部分も含めて、エッカーマンの「どんな勉強をすべきか」という問いに対する答えかな?
これを読んでシェイクスピアの四大悲劇と「ジュリアス・シーザー」を読んだ。戯曲はほとんど初めてだったけど意外と読み易かった。その後、ゲーテの「ファウスト」に手を出して敢えなく撃沈。結局、「ファウスト」は手塚治虫の漫画で読んだ。
少女漫画(というより女性が書いたもの)
少女漫画について書かれた個所はない(多分)。著者は綿矢りさの「蹴りたい背中」、金原ひとみの「蛇にピアス」を挙げて、違和感のあるもの、「普段の自分なら読まない」本を読むことを勧めている(17 読書は新しい知人を得るに等しい;p.116~)。
で、その延長線上で少女漫画や三浦しをんのエッセイを読むようになった。
改めて読んでみて、例えば女性が書いたものを読んで、必ずしもそれを好きになる必要はないのだということに気付いた。心地よい違和感を感じたり、「女のこういうところが嫌い」って思ったりするのも、それはそれでいいのかも知れない。
光文社 発売日:2004-05-15 | 新潮社 発売日:1967-09 | 発売日:1994-02 | |||
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