シナと宗教と西洋文学
岩波書店の販促の小冊子「読書のすすめ 第13集」を本屋でもらってきた。その中の楊逸の「想像する洋書の中の洋風景」というエッセイが面白かった。
幼少時代の私が持っていた宗教へのイメージは、迷信と愚かの二言で一括することができる。それは当時、中国の国策的な価値観でもあった。我々中国人の唯一の信仰は共産主義である、共産主義への信仰はこの世において最も高尚で、素晴らしく、そのほかの信仰の全ては迷信で愚かだ――。
シナ人の、というか宗教弾圧国家に住む人の宗教に対する感覚が率直に描かれている。『その信仰の裏付けにするためか、欧米文学の中で特に宗教に批判的な作品が多く翻訳されていた』とのことで、紹介されているホーソーン「緋文字」、ユーゴー「ノートルダム・ド・パリ」、ヴォイニッチ「あぶ」の三作品はいずれも『宗教をテーマにした悲劇』。日本に来てから色んな価値観とふれあうことで、理解不能だった宗教的なことがわかるようになったとのこと。三作中、「あぶ」だけは岩波文庫に入っていない。
「あぶ」が原作の映画の音楽をショスタコがやっててそれを中野友加里が使ってたとのことでこちらに詳細情報あり
http://goyukarin.exblog.jp/8621281/
マスメディアと思考の自由
映像メディアについても触れている。
『テレビや映画によって、色んな世界や風景をよりリアルに、より身近に表現することが出来るようになった』としながらも
テレビの脅威的な映像力は、われわれ人間の脳の全ての隙間を侵食してしまい、想像する空間、或いは思考する空間をなくしてしまった。
幼い頃、想像する自由と思考する自由は政治によって剥奪されていたのだが、今はその自由を自ら放棄してしまう人が増えている。
と書いている。電波メディアの脅威を的確に指摘しているように思う。洗脳電波がやってることは、思想統制国家がやってることと変わらないのかも知れない。
↓「読書のすすめ 第13集」に関する詳細情報
http://madconnection.uohp.com/mt/archives/001803.html