あの日食べたバターライスの不味さを僕達はまだ知らない。(実写版)

We still don't know the distastefulness of the butter rice we ate that day. (live-action version)

女子高生鶏解体と釈迦または玄侑宗久

女子高生が鶏を育てて解体して食べる 「命の授業」は残酷か? (Business Journal) - Yahoo!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130305-00000306-bjournal-bus_all

 『情熱大陸』でやってた「命の授業」というのが話題になってるらしい。内容はタイトルの通り。自分はちらちらとしか見てないけど、見ながら玄侑宗久の『釈迦に説法』に書いてあることを思い出した。

仏教では肉魚を食べない、と思っている方もいるようだが、本来そんな決まりは初期の「律」にもない。

ただ目の前で殺される場面を見てしまった動物は食べちゃいけないと、釈尊は仰った。

おそらく釈尊は動物に感じる命の生々しさを重視したのだろう。いわば人情として、動物の命には格別の親しさを感じるから、それを殺してまで生きる人間の罪深さを、わざわざ意識しなくともよかろう、と

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 テレビを見た感想も、宗教家がここまで言ってるんだからそこまでしなくていいんじゃねえの?って感じ。しちゃいけないとは思わないけど。ただ、この件に限らず、教育というのはある程度実験的にならざるを得ないのかなと思う。
 体罰に関して夜回り先生が一人でもダメになればそのやり方は間違いだって話をしてたけど、思い上がりも甚だしい。万能の教育などないのだから。せいぜい歴史の積み重ねで証明されてるものを重んじるしかないのではないか?とか言いながら漢文の素読をやれって言われても今一つピンと来ないけど。