8日にNHKの「みんなでニホンGO!」という番組で、「たまご」の漢字「卵」と「玉子」をどう使い分けるかという内容のことをやっていた。肉食に対する忌避がまだあった時代に卵を食べる時に生々しさを避けるために「玉子」を使うようになったというような話だった(はず)。
で、「たまごやき」は地域によって「玉子焼き」と書いたり「卵焼き」と書いたりするのだけど、高知ではたまごやきは「卵焼き」で、「玉子焼き」はベビーカステラのことを指すということだった。それを聞いて「教養としての言語学」に書いてあることを思い出した。
「教養としての言語学」には、人間の言葉だけがなぜ発達したのかについて書いてあって、それには歌が重要だったのではないかということ。ヤドカリに例えて、先に貝殻があってそれにヤドカリが住み着くように、言葉も先に意味のない空の音声がないといけなくて、それに後から意味がつく。目的なしに意味のない音声を発することが、人間が多くの言葉を獲得することに繋がったということ(かなり大雑把になっちゃったけど)。
高知のベビーカステラの例は「玉子焼き」というたまたま余った表記があって、それに後から意味を当てはめたことになる。「教養としての言語学」に書いてあるのはあくまで音声の話だけど、似たような現象だと思った。
「卵」についてもうひとつ。「卵」はシナから伝わった漢字だけど、その後シナでは「蛋」(タンパク質のタン)と書くようになって、現在でも「蛋」が使われているらしい。日本では「卵」が既に定着してたので「蛋」は入ってこなかったということ。日本の方がより古い文字を使ってるという逆転現象なわけだけど、英米間でも同じようなことがあるらしい。
「秋」はイギリスでは「autumn」、アメリカでは「fall」が使われるのだけど、fallがより古い単語でautumnは後にラテン語(かフランス語)から輸入した単語だということ。これは「トラッドジャパン」の「Words & Culture」のコーナーでやってた。
「Words & Culture」を書籍化してほしいと思ってたらもう出てた。