あの日食べたバターライスの不味さを僕達はまだ知らない。(実写版)

We still don't know the distastefulness of the butter rice we ate that day. (live-action version)

ブリティッシュフォーク関連

 ボブ・ディランと言えば、レコード・コレクターズのロイ・ハーパーのインタビューが印象に残ってる。1995年10月号。聞き手は和久井光司

――あなたが24歳のころといえば、英国ではビート・バンドがまっ盛りだったでしょう?バンドでやってみようとは思わなかったんですか?
 「オレは詩人になりたかったんだ。詩人がただ詩を詠んだって少しも儲からないし、多くの人を振り向かせるのは大変なことだよ。ギターを弾いて歌えば少しは金になるし、それで詩が伝わるだろう?詩を詠むために手段として曲を書き、歌うようになったわけ」
――それはボブ・ディランの影響ですか?
 「んー、いや、違う。オレはディランを憎んでるぐらいだし、世の中にアイツをブッ殺したいと思ってる奴は5人はいるはずだよ(笑)。オレは当時、英国では劇作家として有名なブレンダン・ヴィハンというアイルランド出身の男の弟で、フォーク・シンガーだったドミニク・ヴィハンと旅をして歌ってたんだけど、オレとドミニクは何人かの仲間を誘ってディランを訴えようとしてたんだ。アイツはあまりにも沢山のアイルランドの音楽を無断で借用して、自作として発表しているからね。オレは反ディラン体制のど真ン中にいたんだよ(笑)」

 ついでにもう一つブリティッシュフォーク関連で印象に残ってるインタビューを。1996年10月号のウィズ・ジョーンズのインタビューで聞き手は同じく和久井光司

――あなたのギター・スタイルは、特にリズムの面で非常にロック的ですよね。8分音符の縦割りがすごくはっきりしていて、ビートがすごく強調されてる。ロックのフィールドに向かえば商業的にもっと成功したんじゃないかとも思えるんですが…。
 「そこんところは自分自身に対して不満が残っているよ。エリック・クラプトンはまだアート・スクールの学生だった頃、――つまりまだろくにギターを弾けなかった頃だそうだが、フォーク・クラブに私のステージを観に来ているんだ。後に彼は私がやりたかったことを分かりやすく具体化した音楽で成功しているし、ロッド・ステュアートにも同じようなことが言える。彼もまだ青臭いガキだった頃に私のステージを観ていたんだそうだ。エリックもロッドもちゃんと証言してくれてるよ。ロッドのファースト・ソロ・アルバムが出た時には、〝これだよ!これをやりたかったんだ〟って逆に自覚させられたぐらいだけど、私は自分では出来なかったんだな。少し若い世代にヒントを与える役割だったのかもしれないね」

 ウィズ・ジョーンズのインタビューは前回から続く『トラッド/フォークとブルースがクロスオーヴァーした60年代はじめの英国ロック・シーン』と題する全2回の特集の続きで、前号(1996年9月号)にはジョン・レンボーンのインタビューが載っている。
 ブリティッシュ・フォーク/トラッドの特集は2004年9月号。