あの日食べたバターライスの不味さを僕達はまだ知らない。(実写版)

We still don't know the distastefulness of the butter rice we ate that day. (live-action version)

一条ゆかり『アミ…男ともだち』 1973年 集英社

 一条ゆかりの古い作品を読みたくなってウィキペディアを見ていたら、『アミ…男ともだち』という作品の項目に、

萩尾望都の『雪の子』(1971年)や『11月のギムナジウム』(1971年)との類似性を指摘され、現在ではあまり語られない傾向にある。

アミ…男ともだち - Wikipedia

という記述があって興味がわいたので読んでみた。『ハートに火をつけて』というコミックスに収められていて、Kindleではそのまま復刻されている。

 外国の寄宿学校が舞台になっているところが『11月のギムナジウム』と共通しているのと、人が死ぬという点では『雪の子』とも『11月のギムナジウム』とも同じだが、類似性が指摘されるほど類似しているとは思わない。

 『アミ…男ともだち』には、『雪の子』の重要なテーマである性の問題も、『11月のギムナジウム』のもっとも重要な要素のはずの双子も出てこない。この作品でもっとも重要な要素は、自分の死を誰かに刻み付けようとすることで、類似性が指摘されるべきなのは『トーマの心臓』(1974年)だろう。

 一条ゆかり萩尾望都の『11月のギムナジウム』に影響を受けて『アミ…男ともだち』を描いて、萩尾望都一条ゆかりの『アミ…男ともだち』に影響を受けて『トーマの心臓』を描いたのではないだろうか。言うまでもなく、『トーマの心臓』は『11月のギムナジウム』を原型としている(ちなみに『11月のギムナジウム』はラディゲの『肉体の悪魔』の影響を受けている)。萩尾はそこに『ギムナジウム』の影響を受けた『アミ…』の要素も取り込んで、『トーマの心臓』という究極の作品に結実させたのではないだろうか。それともほかに原型があるのだろうか。

 『アミ…男ともだち』と『トーマの心臓』を比べて、精神的レイプを受けるのは誰なのか、誰が誰に死を刻み付けようとするのかを考えると、『トーマの心臓』の重厚さが浮かび上がってくるような気がした。

 

 念のため書いておくけど、パクリだのなんだのと言うつもりは毛頭ない。類似性があるということと、悪質な模倣であるか否かはまったく別のことだ。他人のアイデアを利用してまったく別の作品を描くことを悪質な行為だと見なす人もいるようだが、自分はまったくそうは思わない。

 

 

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